更年期うつになる前の状況
私は30歳で結婚すると同時に、当時勤めていた職場を退職しました。退職の理由は、デザイン事務所ということもあり、残業が毎日深夜まで続くことから、今までの様に勤めていたら、家事など出来ないだろうと思い退職にいたったわけです。
しかし結婚して半年は主婦業に専念していたものの、将来的な事を考えると、50歳を過ぎてからお金が足らなくなり、老いた体で勤めに出るのはきっと辛いだろうと思い、若くて元気な時に働いて少しでも貯蓄したいと考える様になったのです。
私の仕事はパソコンさへあれば仕事が出来る分野だったため、たまたま自宅で仕事を頂くことが出来るようになり、当時は仕事も多くなかったため、主婦業との両立が難しくありませんでした。
それが1年後子供が産まれてから生活が激変したのです。
子供が産まれる寸前まで仕事をしていました。せっかく家で出来る仕事を失いたくなくて、出産後も仕事は続けて行くつもりでした。しかし子供が産まれてからは思いのほか忙しくなり、仕事どころではありません。
当時私は仕事を続けるか、それともやめて家庭に完全に入るかでとても悩みました。技術職というのは、継続して行かないと腕も衰えてしまうし、時代がどんどん進む中、子供が大きくなる頃まで休んでいると、いざ働きたくても新しい情報についていけなくなり、今までと同じ仕事は難しくなるのです。
そこで出した結論は、子供を保育園に預け、働き続けることでした。
更年期うつは想像以上につらい体験でした
家で行う仕事は楽そうに思われる方も沢山いらっしゃると思います。しかし、オンオフの切り替えが下手な私は、自宅で仕事をすることがとても大変だったのです。仕事が順調に増えていき遣り甲斐もあります。その分家事や育児がおろそかになり、常に悩みながらの日々が何年も続いたのです。
35歳を過ぎた頃から、特別生活に不満はないのに何故か涙が出てくるなど、メンタル面での異常を感じ始めていたのですが、とにかく忙しい毎日だったので、気に留めている余裕はありませんでした。今考えると心身ともに疲れがピークに達していたのと、不規則な生活からのホルモンバランスの乱れによる症状だったのだと思います。
仕事以外に私を悩ませたのは、子供でした。保育園の先生から、軽い障害があるのではないかと言われ、大学病院で検査したところアスペルガー(軽度発達障害)だとわかったのです。
仕事と家事と子供の障害、それに加え、姑との関係もこじれはじめ、それでも仕事に追われ続ける生活。自分でどうしたらいいのか全くわからず、飲酒で自分をごまかしていました。そう、私はキッチンドリンカーになってしまったのです。
ある時仕事をしていたら1本の電話がありました。電話の内容は、父が更年期障害から鬱になり、その後ノイローゼになり自ら命を絶ったという内容でした。
あまりに衝撃的な内容に仕事も出来なくなってしまい、今まで我慢し続けたものが一度に崩壊するように、深い深い闇の世界へと落ちていってしまい、自分でもこれで終わってしまうのではないかと思うくらい、精神崩壊の危機にまで追い込まれました。
心療内科で更年期うつの治療と激太り
たまたま仕事の関係者が医療に特化した仕事をしていたことから、良い心療内科を紹介してくださったのがきっかけで通院することとなりました。
体重も更年期うつになってから、17キロも太ってしまっていたのです。それから数たった今は、薬の効果もあり、心の余裕が出来てきはじめ、不規則になっていた生活を見直し今にいたります。
17キロ増えてしまった体重も、1年で元に戻すことが出来たのです!この内容はまた記事にしたいと思います。
まとめ
更年期うつになると、何となくおかしいな?と感じながらも、そのままにしてしまいがちです。しかし、そのままにしてしまうと、私の様に負の連鎖が重なった時に、本格的につらい鬱になり、なかなか治らなくなってしまいます。ですので、ぜひ心療内科での診察をお勧めします。
心療内科と聞くと、何となく敷居が高く感じてしまいますが、待合室は、OLさんもいれば学生さん、子供連れの主婦やサラリーマンといった普通の内科と変わらないのです。人気のある心療内科だと、3~6か月待ちのところもあるほどなので、早めの受診がおすすめですよ。
今はホントに良いサプリメントなども多数手軽に買える時代なので、時間がなかなかない方などは、サプリメントで予防していくのも一つの手だと思います。